”眉毛”は世界を見たい

日々のことや、米国大学院についてつづる超絶主観的な雑記

眉毛の背景① 幼少期~高校

どうも、眉毛です。

しばらくのブログ投稿では、自分の背景について語ろうかなと考えています。

もっと書き手である自分を知ってもらいたいし、

眉毛が紛争・テロ解決分野で働きたいという考えに至った原点ともなっている気がするので、触れようかなとなりました。

 

後、自分を見つめなおすためでもあります。

大方の人にとってここでの有益な情報は得られないと思います笑。

一人間の内面を見れるくらいですかね、エンタメとしてか(面白いかどうかは別ですが)、読者様が眉毛の心理カウンセラーとして聞いてるって気持ちで読んでいただけると幸いです。

とりあえず、しばしの自分語りをお許しください。

第1回は幼少期~高校までの経験と眉毛がどんな人間になっていったかについてです。

 

世界を見たくなった幼少期

眉毛は日本に生まれましたが、幼稚園の年少組(4歳)でシンガポールっていう小さな島国に移住しています。親の転勤で約6年半住めたことに感謝と幸運さ極まりないです、、、。

シンガポールってのは多民族国家で、おおざっぱに言うと中国、マレーシア、インド、の文化が一つごちゃまぜになった国です。なので、必然的にいろいろな文化に触れることになります。

また、インターナショナルスクールに通わせていただき、ここでもいろんな国から来た生徒と関わることができました。そんな環境にいたことがきっかけで、世界にはいろんな人がいるってことを認識した気がします。

そんな認識+好奇心強めな性格によって、もっと色々な人や文化(小さい時に「文化」なんて言葉知らないと思いますが、概念としてはなんとなく感じてた気がします笑)、ひいては「世界を見たい」という願望を抱くようになっていったんだと考えています。

ちなみに、このブログのタイトルを「”眉毛”は世界を見たい」にしたのはその願望を実現させたいってのを表したかったからです(言霊信者)。タイトルは今後書く中身とそんなに合致してないです、はは。

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関係ないけど、シンガポールで一番好きだった食べ物、チキンライスです。

帰国後(中高の時期)

シンガポールには幼稚園年少~小6の夏までいたんですが、そこでも転校を3回ほどしました。また、聴講生(夏休み中に日本の小学校に一か月くらい通う制度)として何回か日本人小学校に通ったりもしました。結構コロコロ環境が変わった中で生活していた覚えがあります。

そんな環境も、日本に帰国して中高一貫の学校に入ってからは6年間固定化されます。高校から転入してくる生徒もおらず、眉毛自身学校の寮に入っていたのでなおさらですね。その6年は授業、部活の繰り返し+寮生ズとわいわいすることに忙しかったので、特に達成したい人生の目標や、パッションとかは見つけられなかったと感じます。

ま、そんなこんなで大学受験をして、早稲田大学国際教養学部に入学します。特に興味のある分野が無かったので、広く浅くいろいろな分野を学べる(しかも全部英語で)+長期留学が義務付けられている、ってのに惹かれてそこにしました。そこで興味を持てる分野見つけたいな~と考えたのと、「世界を見たい」という思いはずっとあったので。

興味のあった科目

興味を持てる分野が無いとは言いましたが、歴史(特に世界史)は一番好きで面白いな、と思っていました。これは幼少期から好きでしたね。何でかは自分でもよくわからないです。多分だけど、自分の今あった生活と異質な感じがして、面白いと思ったのかな?ありがちだと思いますが、古代エジプトのミイラ(ツタンカーメン王のやつ)の発掘とかめっちゃ興味持ってたイメージあります。

でも小中高でやった歴史の授業とかを食い入って聞いてた印象は無いですね笑。ただ、中学の時に映像の世紀というドキュメンタリー集を見たのですが、その時の記憶は結構残っています。2つの世界大戦と戦間期がテーマだったものたちで、戦争の生々しいかつ凄惨な映像(収容所、塹壕、毒ガスでやられた人たちとか)は今でも脳裏に焼き付いてます。

その映像に加えて、ルワンダ大虐殺を経験した張本人の手記*とかを読んだりしたことで、戦争や争いというものに対して何らかの感情は抱きましたね。

眉毛の生まれ育った環境はこんなにものほほんと平和なのに、何でほかの地域では必ずしもそうではないんだろう、不公平だな。と思った記憶はあります。

そんなことから今起きている紛争やテロに対して何かをしたい、でも何をどうやって?という気持ちになったのは覚えてます。実行者の心情も知りたいな、とも思いましたね。

 

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幼少期~高校までを通してどんな人間になっていったか

確証はないんですけど、幼少期~高校までの経験を通して以下三つの性質を持った人間になっていったと思っています。できるだけ正直に、美化せずに書いていきたいと思います。眉毛のことをご存じの方々には「違くね?」って思われる可能性もあると思います。

1.人に嫌われたくない人間

小さい頃から何度も転校を繰り返してきていたので、「眉毛は外部の人だから、溶け込まなきゃ」という意識が強かったと思います。なので友達作りとかには躍起になってました。人を巻き込んでいくよりも、どう上手く人にくっついていくか、ってのを常々考えていました。そんな特徴があるからか、自分結構いてもいなくても良い存在なんだろうな、ってのは思いますね。これは22年間生きてきた中の随所で感じてきました。

だいぶ悲観的に書いてますが、「人を巻き込んでいけるようになりたい!」とか、「いてもいなくても良い存在から脱したい」とはあんまり思わないです。

⇒後者の方は嘘かも。

どっちかというと自分がどう楽しめるか中心で考えているし、人に嫌われたくないので、そんなにそこを直したいとは現時点で思ってないです(誰も聞いてない)。

2.自分ペース&自分ベースな人間

これは幼少期~高校の経験から来たものではないと思いますが、一人っ子だからか、基本的に自分主体で動いています。何をするにしても、いかに自分のペースで物事を進められるかを大事にし、どう自分のためになるかを考えている気がします(友達少なそうだな、おい)。そういう意味ではこのブログも自分のために書いている、っていう意識の方が強いのかもしれません。

そんな人だから、他人の気持ちに対して共感する、共鳴することが少ないと思います。でも、リアクションだけはいいです。

3.目立ちたくはないけど、自分を理解してほしい人間

どう上手く人にくっついていくか、ってのを考えて動いていたので、自分がスポットライトを浴びると結構すくみ上るし、プレッシャーにうまく対応できない人間です。また、脚光浴びたい度は100点中30点くらいだと思います。自分主体であるとは言ったけれど、頂点に立ちたいとかそういうのは無いんですよね。あくまでもっと知りたい、経験したい、感じたい、という自分に直接来るものを得たいって感じです。

あと、脚光は浴びたくはないけど、もっと自分を知ってほしい、心に残っていてほしいという欲はあります。何でかは確証ないですが、多分「巻き込み型」ではない分、自分がいたというせめてもの痕跡を残したいんだと思います。共感してほしい、とかいう思いもそんなに無い気がします。ブログを書き始めたことがこれを裏付けるのかな。

 

まとめ

幼少期~高校を通して、上で説明したような人間になっていきました。

要するに、自分主体だけど脚光を浴びずに自分の痕跡残したい人間なのかな。間違ってたら教えてください。

こんな人間でも、「紛争・テロ解決に対して何かやりたい」ってなるんですよね。

次回は大学生(1年生~留学を終えるまで)について書いていきたいと思います。

それではまた。

本日の一枚。